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年賀状



遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。


①『超えたい』

20歳過ぎたくらいの頃、知人に聞かれた。『あこがれるとか尊敬してるとかなりたい人って誰だ?』

私は答えた。『飯田健二』

その知人は言った。『俺にもあこがれる人はいる。美濃加茂の服屋の店長だ。でも俺の場合はあこがれるのも

あるが超えたい人だ。』

私は思った。『超えたい人か~、飯田健二は無理だろ~。デカすぎるわ。』



②『FCVの根幹にあるもの』

2年くらい前に、他の指導者の方に聞かれた。『FCVの考え方のベースにあるものは何?』

私は答えた。『飯田イズム!』

その方はまったく想像してなかったようで困った表情。多分ドリブルが~~みたいな答えが欲しかったんでしょうが。

サッカーを通じて選手を人として成長させる。子供の意見に聞く耳をもつ。

そんなところか。



そんな『飯田健二』先生の年賀状の一言は毎年胸に響くものがある。


今年も素敵な一言。

今年の3月で定年になるのだが、ここから人生がまた始まるかのようなポジティブっぷり。

やはり飯田健二はいつまでも超えられないわ。

しかし飯田健二を超えることを考えるより、野村次郎として生きていくことの方が楽しく生き甲斐があるようにも感じるようになったここ最近。


最後に、今年年賀状を見て気付いたこと。

当たり前かも知れないが、直筆で言葉が書いてあるものとそうでないものがまったく違うものだと感じた。

ただの紙なのか、プレゼントか。それくらいの違いがあることに気付いた。

私の年賀状には残念ながら言葉を添えてなかった。

来年からは気をつけようと思った。


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『ない』ことの重要性




FCVの創部は、2005年1月。

可児にクラブがなく、可児の選手が他の地域でプレーせざるを得ない状況があった。

クラブが1つも『なかった』。

だからFCVを創った。

写真は1期生の高円宮杯県大会出場決定戦のハーフタイム。

FCVには歴史が『なかった』。FCVの存在価値を示す必要性があった。

だからこの試合に勝って岐阜県ベスト8という結果を残す必要性、高い意気込みがあった。


〇〇がない。

『ない』ことってとても大切。

『ない』からこそ人間は『ある』ようになるよう考える。そして頑張る。


選手育成にも『ない』ことがとても重要。

なんでもかんでも親が干渉する選手は、物事を親任せにしてすべて受身。

スクール生が、『コーチ、〇〇忘れました。親が用意してなかったんです。』

私は思う。親は子供のためによかれと思って用意するのだろうけど、それは子供のためにはなっておらず、甘えた何もできない人間を育てる助長にしかなってないのだと。

選手には『ない』ことが大切。

誰だってそうだろう。黙っていても何かしてもらえるとか食べ物をもらえるのであれば自分で探すことはしないだろう。

何もしてもらえない、食べ物ももらえない。

『ない』なら生きていくとか必要性が出てきたので自分で解決しようと試みるだろう。

親も指導者も与えすぎずに待つ。

親や指導者の過干渉は指示待ち、自分で何も出来ないもやしっ子を育成に繋がる。

選手は『なにもしてもらえない』からこそ、自分でやろうと解決しようとする。

昔コミュニケーションスキルの講義で講師が言ってた。

『親や指導者は察しても黙って観ていて、察しが悪いふりするくらいが子供の自立・成長にはちょうどいい』

その通りだと思う。

『ない』からこそ考えて、頑張る選手を育成する。

親と指導者がなんでも用意してやってあげる甘ったれ人間を育成するのか?

それとも本当に自立した選手を育成するのか?

FCVとしては常に『ない』ことを大切にし、自立(自分独力で立てる)した選手を育成したいと考える。


GO!

『when in Rome, do as the Romans do』

私と同じ高校出身の方なら理解できるだろう言葉。

耳にタコできるくらい覚えたはず。

少し前から、東海クラブユースサッカー連盟の役員になり、役員会に出席している。

今は右も左も分からず、【郷】がどんな場所なのか手探り状態である。

そして入った以上は東海連盟がHAPPYになるようなことを考えて、いつかは発言していかないといけないのだろう。

しかし、他人様の【土俵】に上がった時、自分の都合を通すようなことはないように気をつけないといけない。

『when in Rome, do as the Romans do』ね。

久しぶりに思いだしたわ。

いい話②



先日の幼稚園の園長の話。

以前にも話したことあるけど、【善悪の判断】は親の仕事だと。

そしてまた興味深い話が。

【親年齢】

親は子供が産まれた時に31歳であろうと、親としてはまだ0歳だと。

子供をいかに成長させて育てていくかの経験はなく、子供の成長(年齢)とともに【親】も成長(親年齢)していくということ。

1人目の子供が3歳の時に2人目が産まれたら、2人目の子供に対しては3年の経験があるがまだまだ【親年齢】としては3歳だということ。

親も子供とともに経験し、いかに振る舞うかを学んでいくとのこと。

非常にタメになる話でした。

私は【親年齢】が2歳です。まだまだヒヨっ子ですが、子供、家族のために頑張りますし、子供を育てることを経験することは指導に必ず生きてくると信じてます。

感情

自分は感情というか心で動く人間だと思う。

しかしそれだけではダメなときもあるのは理解している。

心と冷静さ、どちらも併せもたなければならない。

喜怒哀楽。

この1週間いや数日で大きく心が喜怒哀楽に揺さぶられた。

【喜】の裏では【哀】があることも、【怒】の裏には【楽】もあったり。

それも人生では当たり前のことなんだろう。

来月34歳を迎えるが、日々経験なんだろう。

感情ね