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親父

父親の葬儀が終わりました。
息を引き取る瞬間にも立ち会いました。
葬儀の流れや作法などを知りました。
亡くなっても多くのことを学ばせてくれる親父です。

小さい頃の父との思い出はあまりありません。
というのも我が家は新聞屋で、休刊日(月に1度)しか親父の休みはありませんでした。
少年時代にキャッチボールをしてもらったことくらいですか、親父との思い出は。
なんで、他の家庭は大型連休に遠出をしてるのに俺の家庭はどこかに連れてってもらえないのか?なんで俺は朝早くに起きて朝刊配達をせなあかんのか?(中学卒業まで)
そんな思いを抱いてました。

高校時代、テストの点が悪いことに怒った母親が弁当を作ってくれなくなりました。そんな時に親父は朝刊配達の合間に私の昼飯のためにパンを買ってきてくれてました。ついでに当時毎週読んでいたサッカーダイジェストも買ってきてくれました。

大学4年時に初めて親父にDIADORAのスパイクを買ってもらった。すっげー嬉しかった。今はなかなか履かないが大事にしてる。私にとっては大切なスパイクだ。

社会人時代、長野県で勤務してた。たまに可児に帰ると、元気か?体には気をつけろよ。と常々気にしてくれた。そして一緒に一度だけ酒を飲んだ時に、息子と一緒に酒を飲めるのは幸せだ、と話してくれた。(結局病気の影響で酒を断つことになり、父と飲んだのは数回だけだった。)

親父の病気。脳で出血してしまうこと。大学時代、学校帰りによく愛知医大に通った。授業がない日に親父のリハビリがてら一緒に散歩した。退職し、ニュージーランドに留学してる時には大出血し、途中帰国も考えた。次出血したら命はないと医者に言われながら出血しても毎回生きていた、奇跡の親父だった。

とにかくオモロイ親父だった。ギャグの強い親父だった。

今考えると小さい頃に遠出などできなかったのは、親父がおれらのために必死に毎日働いていてくれてたんだと思う。
親父から学んだこと、自分の子供のために生きろってことか?まだまだ結婚も子供もいないからそんな状況ではないが、子供ができたら親父を見習わないとあかんわな。
親父は必要以上に話す人間じゃなかったけど、俺の生き様を見ろって感じで俺に伝えてくれたんかな?

あー、酔っ払ったわ。

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