可児高校 5月30日土曜日の午後、美濃加茂シティホテルでの可児高校30周年パーティーに参加しました。 これだけを聞くと、すごく愛校心のある人だと思われますが・・。 1週間前、とある高校の先輩から『可児高が30周年記念でパーティーを開くんだが、参加者が少ないのでなんとか来てくれ!』との依頼。自分の予定をみると、午前に中学Aチームの練習。あまり乗り気ではなかったが、先輩のお願いとあり、参加することに。※伊藤コーチも先輩の依頼を受け、午前中に○○中のバスケ部顧問として試合をしてから参加 そんな裏話のあるパーティーに参加。 先輩に『ネクタイ着用ですか?それともそれなりの小奇麗な格好でいいんですか?』と聞くと、『まぁ、午前中に式典があり、それに参加する教員の方たちはネクタイはめてるけど、一般の人はいいよ。』との回答。 会場に入るなり・・ 場違いな自分に気づきました。参加者の9割以上が教員(もしくは元教員)で、式典に参加した方ばかりで、ネクタイはめてないのは私だけ。あーやってまった。 記憶が蘇る。 南アフリカでのコーチ修行中、とある大会にフェイエノールトが参加した時に、パーティーがありそれに参加した。当然サッカーの修行に行ってるのに、正装なんて持って行ってない。執事していたオランダ人コーチに正装を持ってないから参加できないよ、と伝えたところ、いや関係ない、来ればいいよと促され会場に着くと、ライフル持った警備員がぞろぞろいて物々しい雰囲気。私はジャージではないが、普段着に近い格好(それしかないので)で参加すると映画に出てくるような外国のパーティー風景。 思いっきり場違いな人になっていました。 そんな雰囲気の中、パーティーが始まる。 いろんな人の話があり、まったくもってつまらんかった。話は長いし、内容はないし。 しかし学校創設に関わった人たちから創設時の熱い思いだけはしっかり伝わった。こういった可児高校に対する熱い思いを持った人たちがいて可児高校があるんだと実感した。 パーティーの最後には校歌を歌った。参加者全員で校歌を歌う。吐きそうだった。 なんか変な宗教団体みたいで寒気がした。横にいた2つ年下の卒業生は会場の変な雰囲気に耐えられず会場を後にしてた。その変な雰囲気が続いて、ガンバローコールというものもやった。 ガンバローコール:確かセンター試験の時に可児校生全員で叫ぶもの。 まーとにかく変な雰囲気のぱーてーでした。 そんなぱーてーを過ごしながら思い出したこと。 私は15期生で、スパルタ教育の可児高校、大学進学の為の可児高校というイメージはほとんど薄れ掛けて、自由な可児高校というイメージになりつつあった時期を過ごした。 可児高校に入学したのは、サッカーするため。 同じ中学からトレセンに入ってて加茂高校に行こうとした仲間を可児高校に誘った。 入学してもほとんど練習させてもらえず、1年夏に学校を辞めようとした。 自分は勉強しなくても勉強できると思ってたが、高校入って周りのレベルの高さに勘違いしていたと気づかされた。 周りの友達がネクタイをはめない中、なぜかネクタイだけはきちっとはめてた。暑い時期は下は体操服の短パン、上はカッターシャツにネクタイをしっかり締めてた。 練習試合だけど岐阜工業に勝ち、各務原にも公式戦で勝った。それでも記録は県ベスト8止まり。(岐阜レベルの話ですみません) 休日の部活後、彼女と一緒に帰る。当然ヘルメット着用ですけどね。 インターハイが終わり、猛勉強した(か??) 卒業後 自分が体を動かしたくて、部活に顔を出した。 コーチを初めて、すぐに恩師が可児高校のコーチに誘ってくれた。 渡辺コーチが選手、私がコーチという立場での5年前、いまだにあの時の可児高サッカーが一番印象に残ってる。 県大会で帝京とベスト4を架けて闘い、延長でVゴール負けした。 ○○○りょうというアニマルみたいなオモロイやつに出会った。(彼は中学3期生の選手のお兄ちゃん) 高校の授業の関係で週1回しか指導できなくなり、可児高のコーチを辞める。 それから2年か?初めて教え子が可児高校に入学。 FCVだけでなく、可児SS時代に関わった選手を含めるとかなり多くの教え子が可児高校に入学したと聞いた。 そんなことを思った。 これからは可児高校への思いはそんなに強いものではなくなっていくだろう。 それでも、可児高校のお陰で、私にはいろんな思い出が溢れている。 PR