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5年ぶりに



5年ぶりに、日本を出ました。
写真にあるように海が綺麗で、広大な国で4日間ほど過ごしてました。

リフレッシュの為にサッカーを忘れた旅にするつもりでしたが、ホテルのTVをつけると丁寧にイングランドプレミアリーグが放映されてました(笑)

また、今回の訪問先を決める際に、暖かい気候で、日本人が少ないことを前提にしてました。
なるべく英語で会話し、昔学んだ英語力を回復させようって狙いでした。

リフレッシュという目的は達成されましたが、サッカーから離れることはTVによってできず、また英会話の研鑽は・・・。始めは聞き取れてたが、考えてることが英語で出てこず。その内に聞き取ることも難しくなる。

冒頭で話したように、『5年ぶり』では仕方ないですね。ガクッ。


2度目の南アフリカ滞在から帰国したのが、パスポートを見たら2004年3月26日となってる。
2004年の7~8月に南アフリカに行きオランダ人の下でサッカーを勉強し、11~翌年1月までニュージーランドで語学留学し、2~3月とまた南アフリカに行った。

そして帰国してから今日までの5年間。
少し振り返ってみた。

2004年
ニートでしたね。サッカーのコーチの仕事なんてなく、可児高校がなんとかコーチとして雇ってくれたものの昼過ぎまで毎日寝る怠惰な生活してました。愛知県までサッカー指導の仕事をしに行ってましたね。

2005年
FCVOLHARDING中学発足。クラブ運営の右も左も分からない私でしたが、本当に1期生の親さんに助けられクラブが歩き始めました。訳のわからんクラブだったと思いますが、若鮎さん、JUVENさん、レインボーさんは関係なくフレンドリーをしに可児まで来てくれました。そしてスクールもこの年に、火曜夕方広見(Wさんありがとうございます)、金曜帷子、選抜ができました。

2006年
夏休みに中学練習を月曜以外全部やり、打倒帝京を目指しました。とにかく陸上部か?っていうくらい走りまくりましたね。そのお陰で岐阜県で一番走れ、一番気合いの入ったチームに1期生はなりましたね。そして夏に早朝に実施するサマースクールが始まったのもこの年。Kさんが提案してくれたサマースクールは今では美濃加茂でも実施されてます。

2007年
1期生の最終年。激しい戦闘スタイルという強烈なイメージを残してくれました。そして高田スタイルを始めたのもこの年。打診を受けた時にすごく嬉しかった可児高校のコーチを辞めたのもこの年。

2008年
2期生が人数が少ないながらもチームワークの大切さ、ショートパスの小気味いいテンポのサッカースタイルを見せた。サッカー指導で飯を食っていくと決めてから短期的な目標としていたB級ライセンス取得講習に参加できた。

2009年
3期生が目標は到達できなかったが、ようやく岐阜県で3位になってくれた。そして現在闘っているクラブリーグでは4期生が最終節を残して2位にいる。中学FCVの成長を感じる。そして夏以降に美濃加茂(Hさんありがとうございます)そして八百津(Fさんありがとうございます)にスクールを立ち上げた。

そんな5年間だったなぁ。
1つ言えるのは、私1人の力ではここまでは来れなかったということ。これは間違いない。
スクール開講についてはまとめ役の保護者の方がいたり、中学では各保護者の方のご協力と父母会長さんの尽力とがあり今のFCVがある。そして私のサッカー協会でのキッズの仕事では、今では副委員長という肩書きをいただいて迷惑してる(笑)が、楽しく仕事をさせていただいてる。

サッカーの仕事を始めた5年が過ぎ、次の5年を終えると10年になる。
これまで同様種を蒔き、収穫する作業をし、反省し、という作業を繰り返していく。また毎年多かれ少なかれ大なり小なり問題に直面する。これからの5年では前述の作業の精度をより高めて、問題にも上手く対応できるようにしていきたい。

幸運なことに助けてくれる方々が私の周りにはたくさんいる。
その方々に『感謝し、謙虚に』これからの5年を過ごしていこうと決意した今回の旅でした。
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