忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

特技

土曜の中学2年の午前練習を終えた後、可児市創造文化センター(アーラ)に行ってきました。
とにかく素晴らしい建物ですね。コンサートや劇、落語なんかもやれちゃうとても大きくて近代的な建物です。半分くらいの施設にしておいて、サッカー場を作ってほしかったくらいですが(苦笑)

なんでジャージ姿の野村がそんな場所に現れたかって。
それは、可児市の小中学生の美術作品展があり、小学2年の甥っ子の作品が飾られてたからなのね。運動や勉強が得意とは言えない甥っ子。しかし昔から絵心はあった。
絵画、版画、書道、粘土・・・いろんな作品があった。絵心のなかった野村は当然美術系の関係はてんでだめだった。
今回の作品展でも小学生低学年位の作品が野村の能力を余裕で超えていた(笑)

中にはFCV中学生やスクール生の作品も多くあり、サッカー以外の能力も見えて大変嬉しかった。またサッカーのプレースタイルとリンクするような作品があり、いろんな観点からサッカーの能力が見えると思ったね。
いろんな素晴らしい作品を見せてもらい、多くの印象を与えてもらい、また気持ちがリフレッシュされたので、とてもいい機会になった。

そんな作品を見る前に、FCV中学生の親さんと偶然会った。
それもほんの数分で3人も。
1人目の親さんと出会い、驚いて話してる間に2人目の親さん、3人目の親さんと来た。すっごい偶然でなんだか楽しくなったね。

2人の親さんは1期生の親さんで、『今日は高校の私立試験日で、帝京まで行ったわ。』
といった会話で、FCVが始まって本当に3年も経つんだなぁと深く思った。
また、帝京が公立の滑り止めとのことだったが、我々が高校受験した14年前は帝京を受験する子は少なく、私立は美濃加茂が多かった。そんなとこでも時代の変化を感じた。
興味深いことに、勉強>サッカーであり、テストの得点が悪いとクラブを辞めさせるかもと頻繁に話してた親さんが、『高円宮杯が終わり、FCVの練習に参加する回数が減ってから学力が落ちた。』と苦笑いしながら話してた。
単純にサッカーをやらなくして時間が増えたとしても、生活のバランスが崩れて勉強もできなくなるといったことがあるようだ。

本題に戻そう。
今回の作品展で、美術系の能力のある子供がいることを確認した。
学校の教科で、算数(数学)の得意な子、国語の得意な子、理科の得意な子、体育の得意な子、美術(図画工作)の得意な子、家庭科の得意な子・・・、いろんな子がいると思う。
得意な科目は人それぞれだ。

サッカーで考えよう。
攻撃の得意な子、守備の得意な子。
攻撃でドリブルの得意な子、パスの得意な子、シュートの得意な子、クロスの得意な子。
守備でインターセプトの得意な子、グループでボールを奪うのが得意な子、体の張れる子、危ないスペースを感じ取れる子。

いろんな人の特技がある。長所がある。その部分で人は自分自身を良く知り、自信を持って人間生活を送ることができる。他人と比較して秀でたものが何かある。それによって人は他人から認められる中で、大切な自尊心が生まれる、自分の生きていく(進む)自信が生まれてくると思う。

そしていろんな特技を持った人間がいるから社会生活はオモロイ。みんな特技が一緒の世の中ではオモロクない。

大人はいろんな側面から子供を見つめて、子供の長所を探し出す。そしてそれを引き合いに子供を成長させていく。そんなことが必要かな~と素敵な数々の作品を見て思った。



PR

中途半端

最近確信を持ったことです。

何事も中途半端な人は、何事も中途半端だ。
勉強を中途半端に取り組む子供は、サッカーも中途半端だ。
生活が中途半端にだらしない子供は、サッカーも中途半端だ。

中途半端な人ってのは何をしても中途半端だ。

水曜の夜の会話。
水曜は中学1年のサッカーをしたい選手、塾のない選手がナイターに遊びに来てた。
野村:『○○君、学校のテストの得点は?』
○○:『5教科で440点です。』
野村:『○○君、今晩は塾はないのか?』
○○:『月曜に2日分、勉強してます。』

○○はサッカーも上手だ。

○○は、生活にメリハリをつけてる。そして時間配分をしっかり考えてる。
何事も集中しないといい成果は得ることができない。だらだらと中途半端な姿勢ではいけない。

勉強をサッカーの言い訳にする子供、サッカーを勉強の言い訳にする子供。
言い訳を言い訳と気付いてない。
中途半端に言い訳ばかりしてると、何事も達成できないぜ。

ちょっと矛盾するかもしれない話を。
中学3年のB君は、勉強+生活はからっきしだった。
それでもサッカーに賭ける気持ちは中途半端なものではなく、かなり熱い気持ちをもった選手だった。
それでも良くはないが考え方によってはいいと思う。
なにもかも中途半端な人間より、何か一つでもしっかり強い気持ちで取り組める。
何か一つでも真剣にできる人間ってのは、やる気になれば物事を達成する能力を持ってるんだから。
B君は中学3年の2学期の途中まで、生活+勉強はさっぱりだったが、高校でサッカーをしたいという強い気持ちから、生活+勉強を改めて取り組むようになったそうだ。

中途半端はだめだ、やるならとことんやろうぜ!

そんなのかんけーねー

『○○くん、○○をしましょう。』(コーチ)
『そんなのかんけーねー。』(選手)

世界中でこんな会話がコーチと選手で交わされてませんか?
最近私の教えるスクール生は『そんなのかんけーねー。』とあのこじまよしおバリに踊りながら言ってくれます。

こんなふざけた選手に効く対処法を教えます。

『そんなのかんけーねー。』(選手)
『おまえはこじまよしおか。よしそんなのかんけーないのならそれでOK。それなら本物になりきってもらいましょう。おまえ、パンツ一丁になれよ。』(野村)
『・・・・・・』(選手)

こじまよしおの真似をする選手に悩まされてるサッカー指導者の方にとても役立つ対処法です。
一度試してみて下さい。
これでダメなら、野村医師まで再度相談して下さい。新種のこじまよしおウィルスかもしれませんから。

日々勉強

今週月曜の出来事。
本来オフなんだけど、サッカー協会の仕事があり、岐阜市内の幼稚園でサッカー教室を行った。
午後に帰宅し、服を買いたくなったので、土岐のアウトレットへ久しぶりに行く。月曜ということでお客さんも少なく、ウィンドウショッピングを楽しんだ。(結局何も買わなかった・・)

そしてただ帰宅するのも退屈なんで、昨日の会議で久しぶりに会った指導者に会いに行った。今度指導を観に行くわ、とその指導者に話していたが、まさか昨日の今日で観に行くとは思わなかった。
そして夕方に会場に着くと、低学年のスクールが始まった。内容は、サッカーっぽいことはあまりやらなかった。

それでも十分に収穫のある練習だった。
正直我々はサッカークラブなので、サッカーの上達を期待されていると思う。
しかし、小さい内からサッカーだけやってサッカーの上手になってもあまり伸びしろがないと思う。
それよりは、小さい内にいろんな運動やいろんな動きを体験させ、運動能力の高い子供を育てたい。そして運動能力が高い子供にサッカーを教えていきたい。
それがより優れたサッカー選手育成の近道だと思う。

ってことはつまり、サッカークラブなんだけど、最近外遊びをしない子供達に遊びの環境を提供する、そんな時間がスクール中にあっていいと思う。っというよりないといけないと思う。
傍から観たらサッカークラブでなくて、体操教室や遊んでるように見える。しかし我々指導者は、サッカーを教えたいのを我慢して、より長期的な考えで指導していきたいね。

本当はオフにサッカーのことを考えるのは好きじゃないんだけど、オフしかサッカーの勉強は出来ないのでたまにはサッカー漬けになるのもいいかもね。

『ないこと』の必要性



一昨日、昨日と大学入試センター試験があった。野村が受験したのは11年前か。丁度可児高校の生徒が初めて名城大学で受験できるようになった年だったな。センター試験はやらかした記憶があるな。本当は国立大学に行く予定だったんだが・・・・。ホントか?(笑)

その昨日のセンター試験での出来事。英語のリスニングの試験中に受験生の1人の携帯の着メロが30秒程度鳴って、リスニングの内容が聞き取れない受験生がいたそうだ。

携帯の鳴った受験生以外の受験生は再試験を受けられるそうなんで、一安心だが、そのコストは誰が払うんだろう??

あってはならないことだと思う。

携帯電話。確かに大変便利なものだ。
しかし子供にとって本当に持たないといけないものだろうか?
また保護者は子供に携帯電話を持たせるだけで、携帯を利用してしてはいけないことや、携帯のTPOは教えてるんだろうか??

言っておきたいのは、決して携帯を子供に持たせてる保護者を批判してるわけではありません。
携帯の話から、何を野村が伝えたいかって??

それは、物を与えない(物がない)方が人間の考える力を成長させるにはプラスに働くんじゃないかってこと。

携帯があると、口で言えばいいことをメールで済ませてしまう。これって携帯が『ない』時にはコミュニケーションがとれて、人間関係はより円滑だったのにね。
携帯を持ってない人にトラブル発生。今じゃ少なくなったけど公衆電話を探す、赤の他人に家庭電話を借りる。スムースに対応できると思う。
でも携帯が持ってる人が、携帯の充電が切れた状態でトラブル発生。いままであったものがないことでトラブルが二重となり、対応が遅くなると思う。

例えば、FCV。
火曜の夕方スクールは5人から始めた。
それが2年で55人に増えた。
初めから30人もスクール生がいたら、50人に増やす努力をしただろうか?
どうしたらスクール生が増えるのか、野村は考えてただろうか?

例えば、野村のプレー。
野村はスピード、体格、ボールを扱う技術に恵まれてなかった。
それでも岐阜県社会人選手権で得点王を獲った。
スピードがない、体格がない。だから考えた。
どうしたら、俺はサッカーで活躍できるんだろう?
ないから考えた。結果は、一瞬の駆け引き、シュートの技術+判断を磨くことだった。
もし野村がスピードがあって、身長が180cmもあったら、岐阜県の得点王を獲っただろうか?
考えることをしなかったと思う。

可児高校の話。
雨の日になると、保護者が生徒の送迎をして可児市坂戸付近は大渋滞。保護者の子供を濡れさせたらかわいそうという親心は理解できる。ごもっともだと思う。

でもね、雨が降った時に、いかに自分が濡れずに、教科書、カバンも濡れずに登校+帰宅するか?それを考えて、対応していくと、目的を達成するためには何をすべきか見えてくる。
保護者があえて、子供に恵まれた環境を与えない、物事が『ない』環境(状態)の子供は考え始める、そして打開策を試してみる、そして打開する考える力が身に備わっていく。

もし何もかもある環境に置かれた人間が、ないものだらけの環境に置かれたら・・・・
それだけで動揺したり、ストレスを感じたり、精神的に負の要素ばかりになるだろう。

もの、環境をあえて与えないことの重要性。
サッカーの指導同様、我慢の必要なことだと思う。
それでも『ない』ことの必要性は絶対にあると信じてる。