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『ない』ことの重要性




FCVの創部は、2005年1月。

可児にクラブがなく、可児の選手が他の地域でプレーせざるを得ない状況があった。

クラブが1つも『なかった』。

だからFCVを創った。

写真は1期生の高円宮杯県大会出場決定戦のハーフタイム。

FCVには歴史が『なかった』。FCVの存在価値を示す必要性があった。

だからこの試合に勝って岐阜県ベスト8という結果を残す必要性、高い意気込みがあった。


〇〇がない。

『ない』ことってとても大切。

『ない』からこそ人間は『ある』ようになるよう考える。そして頑張る。


選手育成にも『ない』ことがとても重要。

なんでもかんでも親が干渉する選手は、物事を親任せにしてすべて受身。

スクール生が、『コーチ、〇〇忘れました。親が用意してなかったんです。』

私は思う。親は子供のためによかれと思って用意するのだろうけど、それは子供のためにはなっておらず、甘えた何もできない人間を育てる助長にしかなってないのだと。

選手には『ない』ことが大切。

誰だってそうだろう。黙っていても何かしてもらえるとか食べ物をもらえるのであれば自分で探すことはしないだろう。

何もしてもらえない、食べ物ももらえない。

『ない』なら生きていくとか必要性が出てきたので自分で解決しようと試みるだろう。

親も指導者も与えすぎずに待つ。

親や指導者の過干渉は指示待ち、自分で何も出来ないもやしっ子を育成に繋がる。

選手は『なにもしてもらえない』からこそ、自分でやろうと解決しようとする。

昔コミュニケーションスキルの講義で講師が言ってた。

『親や指導者は察しても黙って観ていて、察しが悪いふりするくらいが子供の自立・成長にはちょうどいい』

その通りだと思う。

『ない』からこそ考えて、頑張る選手を育成する。

親と指導者がなんでも用意してやってあげる甘ったれ人間を育成するのか?

それとも本当に自立した選手を育成するのか?

FCVとしては常に『ない』ことを大切にし、自立(自分独力で立てる)した選手を育成したいと考える。


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