生死 6月28日、父親の三回忌だった。 最近、なかなか仏壇の前で手を合わせることも少なくなってきた。 私が父親の前で手を合わせて考えること。 『今日一日誰かに1つだけ優しくしよう。』『今日一日誰かに優しくできたか?』 そんなことを考える。 それは父親が優しい人だったから。いい加減で無関心でギャグに強い父親だったが、一番の印象は困った時に優しかった。 だから父親の長所を少しでも真似しようと父親が亡くなってから自身の心の中で続けて意識してきた。 三回忌、12時開始だったのに、和尚さんが遅れて来ない。1時間遅れでようやく始まる。 お経は短いので助かった。あのお経ってのはどれだけの意味があるのか?いつか調べてみたい。意味が分かれば歌を聞く様な感覚になるかもしれない。 和尚さんの言葉で印象に残ったものがある。 『人間は生まれると同時に、死というものに向かって生きている。』 『生ばかりを人間は気にしてしまうが、生と死は表裏一体である。』 そして 『身近な人間の死によって、人間は死について身近なものだと考えるようになる。』 とのお話。 なるほどね。どうしても生ばかりについて考えて、死というものに対しては目を背向けたくなるけど、そういってもいられないんだね。また父親の死によって死ぬということを受け入れる自分がいて、それを受け入れた時、自分にもその瞬間は来るんだと強く感じた時がありました。 最後に一番印象的だったのは、 『人間はいつか死ぬ。しかし浄土に行って必ず幸せになる。』 死んだ後に必ず幸せになる、そんな考えを持っていれば死を恐れず、前向きに生きていくことができるんじゃないかと思いました。 これからも死に向かって頑張って生きてくぞ!(変な表現ですね笑) PR